幼稚園の頃
幼稚園の頃、その頃は自律神経うんぬんが発達していない時期だったのか、
家では全然食べられたのに、
給食がいつも食べられなかった。
違和感を感じる教室では、食べられなかったのだ。
なんだか、胸がどきどきして、食事が咽を通らなかった。
他の子達は食事が終わると休憩に別の教室へ。
先生達は決まって食事を殆ど残す私を教室に残らせ、
最後まで食べさせていた。
先生がスプーンで私の口元に食べ物を持ってくる。
私はそれを口に含み、必死の思いでのみこむ。
血の気が引く。吐き出しませんように!!
口の隅に食べ物を隠しておいてもすぐに見つけられるから、最後まで食べなけらばならなかった。
先生は牛乳を飲ませながらゆっくりにでも食べさせる。
今思い出してもくたくたになりそうな時間だった。
あの頃一番辛い時間だった。
その幼稚園で私が浮いていたのは食事の事だけではない。
朝、仕事の前にバスまで送ってくれる母の手をすり抜けて、何度も逃げ出そうとした。
もちろん捕まえられるが。
苦情が来たからか、私がバスの方向を嫌ったためか、覚えていないが、
ある時期から母は頻繁に、自転車で私を送るようになる。(母には、あの頃から苦労をかけてる。)
私が何か問題を起こす度、先生達は私を床に座らせ、その周りに数人で囲むように座り、私をしかった。
どくん、どくん、私のノミの心臓が高鳴る。『帰りたい!』
その度私はお漏らしをする。するとまたおこられる。
周りの子はちゃんとやってて、普通に先生とも仲が良かったのに。
お遊技(ゆうぎ)の時間も大嫌いだった。
私はしょっちゅう逃げ出そうとして、
太った感じの、一番恐い先生に
逃げようとする私を引きずりながら連れ戻された。(髪の毛を引っ張られて歩かされた事もある。そうとう扱いに困ったんだろう。)
私は泣叫んでばたばたやっていた。
先生達は、私の事をホントに嫌いだったろう。
今考えるとなんて問題児だったんだろうと思う。
辛かったけど、でもあの頃の私は、とても自由だった。
休憩時間は唯一心の休まる時間だった。
周りの事などかまわず一人で遊んだ。
自分が普通で無い事にコンプレックスを抱く余り、
愛想笑いをしたり、常におどおどしてしまう自分など、どこにも居なかった。
今みたいに人の視線まで怖がる事は、あの時期にはなかった。
PS.
ちなみに、「給食が食べられない」行為は、その後小学校1年くらいまで続く。
私が変わっているのと給食を残すので、当時の担任は私の家にだけ家庭訪問に来たくらいだ。